2017年02月

2016年末~2017年始 北海道遠征記(気仙沼線BRT乗車記)⑬

歌津駅前の停留所を出発したBRTは、かつて気仙沼線内で最大の街である南三陸町の中心駅であった志津川駅に向かう。
時刻表の気仙沼線のページを見ると、志津川の手前に「ベイサイドアリーナ」という名の停留所が記載してあり、名称からして海沿いにある場所かと思っていたが、BRTは山を登り高台の方に上がっていく。

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↑ 旧気仙沼線跡を利用したBRT専用道路を行く  2017年1月3日撮影





東日本大震災が発生してから南三陸町の中心街は、沿岸地域から高台の方に移転したとの話を聞いたが、其の高台に辿り着くと所どころで住宅が建ち、またプレハブの仮設ではあるが町役場や消防署が設置されていた。

BRTは新たな南三陸町の中心街を通り、JRさいたま新都心駅前にある「さいたまスーパーアリーナ」の様な感じの建物(建物の外観そのものは全然似ていないが)の前にある「ベイサイドアリーナ」停留所に到着する。
時間調整の為か1,2分ほど停車していたBRTは「ベイサイドアリーナ」の停留所を発車し、今度はかつての中心街があった沿岸地域の方に向かって行く。

昭和59年の春に「初乗車」(此の時はまだ「国鉄気仙沼線」だった)して以来、リアス式海岸の風光明媚な景色に魅せられて何度か気仙沼線に乗車したが、築堤上にあった志津川駅のホームからは山や海に囲まれた小奇麗な街並みが見渡せて、多客期の快速「南三陸」に乗った際には多くの帰省客が此の駅で下車して行った。

しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災で「山や海に囲まれた小奇麗な街並み」は、海から襲ってきた津波により殆どが流されてしまったようで高台から沿岸地域に下りてみると、とても中心街があったとは思えない荒涼たる原野が広がっていた。

そんな原野の中に「かまぼこ」の形をした建物が見えてきたが、それが現在の(BRTの)志津川駅舎だった。


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↑ 蒲鉾の形をしたBRT志津川駅




志津川駅で「トイレ休憩」を兼ねる為、数分の停車の後にBRTは前谷地に向けて発車する。
志津川からは内陸部を走行し、16:51に柳津駅に到着。
ここから前谷地の間は、JR気仙沼線の列車が部分的に運行しているが、列車との接続が無いのでこのままBRTで前谷地に向かう。

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↑ 前谷地駅に到着したBRT




すっかり日が暮れて、真っ暗な一般道を走り抜けたBRTは17時半ごろに終着のJR前谷地駅に到着。
間もなく東日本大震災発生から6年が経過するが、改めて震災で犠牲になった方々のご冥福と一日も早い復興を祈りつつBRTを降りた。



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↑ 仙石東北ライン5552D 石巻にて




前谷地からJR石巻線で石巻に向かい、仙石東北ラインに乗り換えて仙台に向かう。
この日の晩は名取のネカフェでマルヨし、翌日は東北~水郡~常磐線経由で帰路に就いた。

〈1月3日~4日 行程〉

青森FT445(タクシー)500青森541(502M)709八戸713(4520M)900盛岡958(臨快速「ジパング平泉2号」)1114一ノ関1245(333D)1409気仙沼1455(BRT)1726前谷地1752(1645D)1811石巻1859(5552D)1956仙台〈夕食〉仙台2046(1372M)2100名取〈ヨ〉

名取615(570M)823郡山918(324D)1239水戸1300(394M)1502上野(京浜東北線)南浦和

【お知らせ】
「2016年末~2017年始 北海道遠征記」は一応この記事を持って『完結』となるのですが、次回は『番外編』の記事を掲載したいと思います。

2016年末~2017年始 北海道遠征記(気仙沼線BRT乗車記)⑫

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↑ 気仙沼駅構内にある気仙沼線BRTバス停   2017年1月3日撮影




前回記事で画像を掲載した14:15発の盛行BRTを見送り、14:55発前谷地行の気仙沼線BRTに乗る。
かつての「鉄道」としての運行であれば、気仙沼線も故郷から東京や仙台へ戻る帰省客で混雑しただろうが、BRTのノンステップバスに乗るのは私の他に数人の地元の乗客の方々だけだった。

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↑ 対向車線からやって来るBRTと交換する   気仙沼にて




発車時刻直前に、対向車線からやって来るBRTが気仙沼駅に到着するのを待って私が乗ったBRTが発車。
上の画像で信号機が見えるのが確認できるが、駅から伸びるBRT専用道路が一車線(単線)なので、鉄道でいう所の『閉塞信号機』の役目を果たしているようだ。

気仙沼駅から旧気仙沼線の線路跡を利用したBRTの専用道路を走るが、次駅(停留所)不動の沢を過ぎると一般道に入る。
市販の時刻表を見ると、2つ目の南気仙沼駅が「市立病院入口」の注釈がついていて、一般道を通らないと其の市立病院入口に辿り着く事が出来ないようだ。

気仙沼市内で一般道での渋滞に嵌り、その後漸く市街地を抜ける。
バスは一般道や、途切れ途切れに整備されているBRT専用道路を経由しながら前谷地を目指す。

以前、東日本大震災の影響で鉄路が分断されて、その後復旧を果たした仙石線や常磐線(原ノ町~岩沼間)に乗車した時、震災による被害があったであろう更地に多数の工事用機材が設置されて『復興』への期待を感じさせる光景を見ることが出来たのだが、津波による被害が甚大だった気仙沼線沿線では『あの時』から6年が経とうとしているのに、未だに「震災時」から変化の無い光景を目の当たりにした。

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↑ 津波により損壊した気仙沼線の高架橋が現在も残る



本吉駅と歌津駅(かつての気仙沼線主要駅名で記載)の間であろうか、津波で損壊し5年以上が経った今も『そのままの状態』で放置されている旧気仙沼線の高架橋があった。

バスは再びBRT専用道路に進入し、震災前の気仙沼線の主要駅の一つだった歌津へと向かって行く。

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↑ 旧歌津駅のホームとBRT専用道路出口(他の車が進入しない様、遮断棒が設置されているのが見える)




雑草に覆われた歌津駅のホームや線路を横目にBRT専用道路を出て、駅前に設置された停留所に着くと周辺に建物が殆ど見当たらなかった。
この歌津駅も、震災前は気仙沼線の主要駅の一つとして駅の周辺には街が広がり、多くの利用者が列車から乗り降りしていた筈だが、現在の「周辺に建物が見当たらない」状況でもバスから僅かな乗客(確か親子だったと思う)が下車して行った。

その下車した乗客が何処に住んでいて、現在どんな暮らしをしているのかは全く分からないが、バスから降りていく姿を見て「今後も震災に負けずに復興に向かって力強く生きてほしい」と願わずにいられなかった。

2016年末~2017年始 北海道遠征記(気仙沼線BRT乗車記)⑪

<⑩の記事からの続き〉
1月2日の夜、函館23:30発の青森行青函フェリーの深夜便に乗船する。
往路の青森~函館間(②の記事に記載)と同様にいつもは深夜2時発の便に乗るのだが、23時半の便に乗船し青森駅から早朝5時台に出る青い森鉄道1番電車に乗れば、盛岡からの臨時快速「ジパング」に間に合うばかりか、これまで何度か行きたいと思っていたものの、スケジュールの都合で断念していた気仙沼線BRTにも「寄り道」出来ることが分かったので、青森を未明に到着してしまう23時半の便に乗る事にした。

翌1月3日午前3時20分、定刻通りに青森港に到着。
1時間ほど港のターミナルビル内で休息を取った後、4時40分頃に青森の駅に向かう事にする。
普段は駅まで歩いていくのだが、前日に風邪を引いた影響(⑩の記事に記載)で体調がまだすぐれないのでタクシーを使う。

ところが5時丁度に青森駅西口(タクシーに乗る際に「西口」と行先を告げないとメインの駅入り口となる「東口」の方に行ってしまうが、遠回りになるのでタクシーの運賃が高くなってしまう)に到着すると、まだ駅の入口が開いていなくて徒歩で東口に廻って見てもドアには『5;20まで閉鎖します』との看板が出ていた。

寒い中、閉鎖中の駅のドアの前に立っていると漸く5時20分に駅員が来てドアが開き、5:41発の青い森502Mに乗り八戸で4520Mに乗り継ぐ。
盛岡から9:58発の臨時快速「ジパング平泉2号」に乗車し、一ノ関に向かう。

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↑ 盛岡駅に入線する「ジパング」  2017年1月3日撮影




一ノ関で1時間半の待ち時間があり、12:45発の大船渡線333Dに乗る。
大船渡線は一ノ関から気仙沼を経由し大船渡、そして三陸鉄道南リアス線と接続する盛まで結ぶ路線だが、2011年の東日本大震災の津波の被害により気仙沼~盛間はBRT(バス高速輸送システム)による運行となっている。

一ノ関から気仙沼まで海から離れた内陸部を走る事もあり、おそらく震災前と変わらない風景の中を行くが、333Dの終着駅となる気仙沼に到着すると駅の状況が一変していた。

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↑ 2017年1月3日の気仙沼駅の様子




震災前の気仙沼駅は、駅舎に面した片側ホームの①番線から気仙沼線が発着し、跨線橋を渡って島式ホームの②③番線が大船渡線の乗り場になっていたが、上の画像の通り①②番線は線路が剥がされBRTの専用道路として舗装されて①番線が気仙沼線のBRT乗り場、②番線が大船渡線盛方面のBRT乗り場になっており、③番線は線路のままで残り大船渡線一ノ関方面の列車乗り場になっているものの、1線だけでは足りないのか一ノ関側の奥の方にもう1本列車の乗り場が増設されている。

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↑ 盛行のBRTノンステップバス  




駅舎に面した①番線ホームにて気仙沼線BRTを待っていると、反対のホームに盛行の大船渡線BRTが入線。
かつて国鉄時代のキハ58やキハ20の行先サボや、JR時代のキハ100の行先方向幕で大船渡線盛行の列車は平仮名で『さかり』と表示していたが、BRTでは漢字の『盛』となっている。

吾妻線の「霜取り」クモヤ145 今年で運行終了か…?

例年12月から2月の冬期間(昨年は3月にも何度か運転があったが…)に、架線に付着した霜を除去する為に吾妻線で運行されている「霜取り電車」ことクモヤ145-107。
私も昨年2月に念願の「初撮影」(記事は⇒こちら)をし、今年も何度か撮影に行って来ました。

普段は冬期間でも奥地の長野原草津口~大前辺りでしか雪が積もらない吾妻線沿線ですが、今年は強い寒波の影響で1月21日と2月12日(私が撮影に行った日のみ記載)に「霜取りクモヤ」の『定番撮影地』である祖母島周辺でも積雪があり、雪景色をバックに行く「霜取りクモヤ」の姿を見ることが出来ました。

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↑ 雪晴れの渓谷をバックに鉄橋を渡るクモヤ145-107 小野上~祖母島にて 2017年2月12日撮影





昨シーズン(2015年12月~2016年3月)の『霜取り電車』の運行では、「今年でクモヤ145の運行が最後だ…」との噂が流れて、吾妻線の各撮影地には多くの鉄道ファンが訪れていましたが、今シーズンの運行では「引退の噂」は一切流れておらず、その影響もあってか何度か「雪景色をバックに行くクモヤ」が撮影出来たにも関わらず、昨シーズンに比べて撮影地での鉄道ファンの姿も少ないように感じられます。
(2月12日の祖母島の「山バック」の定番撮影地でもクルマが7台程しか停まっていなかった)

しかし『霜取り~』に使用されているクモヤ145は車体こそ新製であるが、台車や床下機器は101系からの流用で、同様の改造でJR化後に登場した107系(165系からの改造)が「引退間近」であることを考えると、いつ引退してもおかしくない状況であると思われます。

また上記リンク記事にも記載していますが、両毛線では211系の5連編成の一部に「霜取り用」に2基のパンタを搭載した車両もあり、高崎支社管内の115系や107系の置き換え用となる211系の4連編成や3連編成にも「霜取り用」のパンタを増設した車両が登場し、現行の『霜取り電車』クモヤ145を置き換える可能性があります。

その一方、長野地区で大糸・篠ノ井両線で活躍するE127系や、新潟地区で115系置き換えの為にデビューしたE129系の一部編成に「霜取り用」のパンタを装備した車両がありますが、篠ノ井線では湘南色のクモヤ143が「霜取り」に活躍しているし、上越線の越後中里~長岡間ではE129系への置き換えが完了したにも関わらずEF64が「霜取り」の仕業に就いている事を考えると、来シーズン以降も吾妻線でクモヤ145による「霜取り」の活躍が見られるかもしれません。

吾妻線のクモヤ145による「霜取り電車」の運行については、将来的な予測が出来ない部分もありますが、末永い運行を願うと共に今後について注視していきたいと思います。【完】

(2017年の吾妻線クモヤ145の撮影記については、今後改めて記事にする予定です)

2016年末~2017年始 北海道遠征記⑩

1990年代にDD51牽引「カシオペア」の撮影で訪問してから数十年ぶりにやって来た千歳線美々~植苗間にある陸橋上の撮影地。
しかし其の撮影地には、高い金網フェンスが設置されて撮影が困難な状況になっていた。

撮影目当ての「カシオペア紀行」の通過時刻が刻々と迫っている中、場所の移動などを考えたが結局金網にカメラのレンズを『密着』させて撮影する事にした。

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↑ 「すずらん5号」  千歳線植苗~美々にて 2017年1月2日撮影




今まで金網にカメラを密着させて撮影したことが無く、「金網の網目」が画像に写るのではないか…と懸念したものの、「撮り方」によっては全く『網目』が写らないように撮影出来ることが分かったので、此処で「カシオペア紀行」を撮影する事にした。

午前10時ごろ、上の画像の「すずらん」を撮影し、10時半過ぎにDF200牽引の「カシオペア紀行」が近づいてきた其の時、背後から列車の走行音が…?!
もう「カシオペア紀行」がやって来ているので、背後の様子を確認できないままカメラを構えて(此の時は三脚を使わず「手持ち」で撮影)いると、上り線を「スーパー北斗」が通過。

この予期せぬ状況に、思わず金網に密着させていたカメラを動かしてしまい、慌てて体制を立て直して撮影するが、カメラを動かした際にピントがずれてしまったのか「ピンボケ」の写真になってしまった。

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↑ キハ261系「スーパー北斗」とすれ違う「カシオペア紀行」 〈撮影データ同じ〉





此の撮影地で「1番の本命」を失敗し、凹んだ気持ちで美々の駅に戻る。
これで北海道内の撮影はほぼ終了(一応この日の晩に「カシオペア紀行」の五稜郭駅バルブを予定していたが…)し、美々から普通列車乗り継ぎで五稜郭に向かう。

撮影地から歩いて美々の駅に着いたのが午前11時20分ごろ。
この後やって来る苫小牧方面に向かう普通列車(2752M)が、またしても美々通過なので11:40発の下り2765Mで南千歳に向かい2752Mに乗り換えることにする。

その後、苫小牧~東室蘭~長万部…と乗り継ぎ、19:10に五稜郭に到着。
夕食を摂ってから「カシオペア紀行」のバルブ撮影をするつもりだったが、先程の美々~植苗間の陸橋で撮影した際に長時間寒風に晒されていたせいか風邪をひいてしまい、この時間でも体調が思わしくなかったので撮影を諦めてこの日の晩に乗船する青函フェリーの乗り場に向かう事にした。

<1月2日 行程〉

札幌620(2726D)724植苗739(2739M)744美々〈撮影〉美々1140(2765M)1144南千歳1147(2752M)1208苫小牧1229(436D)1350東室蘭1355(478D)1532長万部1614(2844D)1910五稜郭(徒歩)すき家〈夕食〉(徒歩)函館FT2330(青函フェリー16便)〈ヨ〉320青森FT

【お知らせ】
「2016年末~2017年始 北海道遠征記」はまだ続き(2月26日から再開)がありますが、次回は「別企画」の記事を掲載します。
ギャラリー
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