歌津駅前の停留所を出発したBRTは、かつて気仙沼線内で最大の街である南三陸町の中心駅であった志津川駅に向かう。
時刻表の気仙沼線のページを見ると、志津川の手前に「ベイサイドアリーナ」という名の停留所が記載してあり、名称からして海沿いにある場所かと思っていたが、BRTは山を登り高台の方に上がっていく。
時刻表の気仙沼線のページを見ると、志津川の手前に「ベイサイドアリーナ」という名の停留所が記載してあり、名称からして海沿いにある場所かと思っていたが、BRTは山を登り高台の方に上がっていく。
↑ 旧気仙沼線跡を利用したBRT専用道路を行く 2017年1月3日撮影
東日本大震災が発生してから南三陸町の中心街は、沿岸地域から高台の方に移転したとの話を聞いたが、其の高台に辿り着くと所どころで住宅が建ち、またプレハブの仮設ではあるが町役場や消防署が設置されていた。
BRTは新たな南三陸町の中心街を通り、JRさいたま新都心駅前にある「さいたまスーパーアリーナ」の様な感じの建物(建物の外観そのものは全然似ていないが)の前にある「ベイサイドアリーナ」停留所に到着する。
時間調整の為か1,2分ほど停車していたBRTは「ベイサイドアリーナ」の停留所を発車し、今度はかつての中心街があった沿岸地域の方に向かって行く。
時間調整の為か1,2分ほど停車していたBRTは「ベイサイドアリーナ」の停留所を発車し、今度はかつての中心街があった沿岸地域の方に向かって行く。
昭和59年の春に「初乗車」(此の時はまだ「国鉄気仙沼線」だった)して以来、リアス式海岸の風光明媚な景色に魅せられて何度か気仙沼線に乗車したが、築堤上にあった志津川駅のホームからは山や海に囲まれた小奇麗な街並みが見渡せて、多客期の快速「南三陸」に乗った際には多くの帰省客が此の駅で下車して行った。
しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災で「山や海に囲まれた小奇麗な街並み」は、海から襲ってきた津波により殆どが流されてしまったようで高台から沿岸地域に下りてみると、とても中心街があったとは思えない荒涼たる原野が広がっていた。
そんな原野の中に「かまぼこ」の形をした建物が見えてきたが、それが現在の(BRTの)志津川駅舎だった。
↑ 蒲鉾の形をしたBRT志津川駅
志津川駅で「トイレ休憩」を兼ねる為、数分の停車の後にBRTは前谷地に向けて発車する。
志津川からは内陸部を走行し、16:51に柳津駅に到着。
ここから前谷地の間は、JR気仙沼線の列車が部分的に運行しているが、列車との接続が無いのでこのままBRTで前谷地に向かう。
志津川からは内陸部を走行し、16:51に柳津駅に到着。
ここから前谷地の間は、JR気仙沼線の列車が部分的に運行しているが、列車との接続が無いのでこのままBRTで前谷地に向かう。
↑ 前谷地駅に到着したBRT
すっかり日が暮れて、真っ暗な一般道を走り抜けたBRTは17時半ごろに終着のJR前谷地駅に到着。
間もなく東日本大震災発生から6年が経過するが、改めて震災で犠牲になった方々のご冥福と一日も早い復興を祈りつつBRTを降りた。
間もなく東日本大震災発生から6年が経過するが、改めて震災で犠牲になった方々のご冥福と一日も早い復興を祈りつつBRTを降りた。
↑ 仙石東北ライン5552D 石巻にて
前谷地からJR石巻線で石巻に向かい、仙石東北ラインに乗り換えて仙台に向かう。
この日の晩は名取のネカフェでマルヨし、翌日は東北~水郡~常磐線経由で帰路に就いた。
この日の晩は名取のネカフェでマルヨし、翌日は東北~水郡~常磐線経由で帰路に就いた。
〈1月3日~4日 行程〉
青森FT445(タクシー)500青森541(502M)709八戸713(4520M)900盛岡958(臨快速「ジパング平泉2号」)1114一ノ関1245(333D)1409気仙沼1455(BRT)1726前谷地1752(1645D)1811石巻1859(5552D)1956仙台〈夕食〉仙台2046(1372M)2100名取〈ヨ〉
名取615(570M)823郡山918(324D)1239水戸1300(394M)1502上野(京浜東北線)南浦和
【お知らせ】
「2016年末~2017年始 北海道遠征記」は一応この記事を持って『完結』となるのですが、次回は『番外編』の記事を掲載したいと思います。
「2016年末~2017年始 北海道遠征記」は一応この記事を持って『完結』となるのですが、次回は『番外編』の記事を掲載したいと思います。
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