2018年11月

1988年秋 憧れの「オリエント急行」日本国内運行を追う⑦

日本にやって来た「オリエントエクスプレス’88」の国内運行終了まで1か月を切った12月上旬の週末、雪の積もった夜の駅構内で「バルブ撮影」をしたくて上越線経由の首都圏~関西ツアーを撮りに長岡駅に向かう。
当時はリクライニングシートを装備した165系アコモ改造車使用の夜行快速「ムーンライト」(後の「ムーンライトえちご」、新宿~新潟間運転)が運行していたので、其の列車に乗り長岡に向かった。

未明の午前4時、まだ暗くて寒い長岡駅のホームに降り立ち関西から北陸本線経由でやって来る「オリエント急行」を待つ。
12月に入ったので長岡駅の構内には既に雪が積もっていると思い、当時はインターネット等での気象情報収集も出来ない時代だった事もあり「雪があるだろう…」という『見込み』だけで撮影に向かったが、駅に降り立った時点では駅構内に全く雪が無かったものの、暫くすると霙が降り出してきた。

寒風が吹く中、三脚を立てて待っていると宮内側から2条のライトが近づいて来て「オリエント急行」が長岡駅に到着した。

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↑ 霙が舞う夜明け前の長岡駅に到着した「オリエント急行」 1988年12月撮影




長岡駅では此処まで牽引してきたEF81から上越国境越えに備えてEF64の重連に付け替える。
当初はホームの先端から駅停車中の「オリエント急行」を牽引機関車を入れて撮るつもりだったが、1両あたりの車両の長さが日本の車両より長い「オリエント急行」(日本の車両は20~21m、「オリエント~」の車両は22~23m)の13両編成では客車だけでホーム一杯に停まる形になり機関車がホームからはみ出てしまう為、機関車を入れての「編成写真」を撮る事が出来ないので仕方なく客車中心の撮影に切り替える。

(長岡駅外の宮内側にある踏切からなら機関車を入れての「オリエント急行」編成の撮影が可能だった筈だが、当時は残念ながら其の考えが思いつかなかった)

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↑ …火事だあァァ~ぁぁ~アア~ぁ~ッ!!!!!!




此れを撮影した後、DPE屋で仕上がった写真を見て思わずそう叫んでしまった…(汗)。
「オリエント急行」では食堂車の調理では石炭レンジ、また寝台車なども含めて客車の暖房には石炭ボイラーを使用(各客車の貫通路横の連結面には石炭収納用の細長い箱が設置してある)している為、客車の屋根からSLを思わせるような「煙」が出る光景が見られる。

因みに↑の画像の窓から見えるのは「車内が燃えている」様子では無く、車内に設置されたクリスマスツリーに飾ってある無数の「電球」が光っているたけの事である…(劇汗)。

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↑ 上野に向けて出発を待つ「オリエント急行」 〈撮影データ同じ〉




「オリエント急行」が」停車しているホームの更に向こうの番線では青森に向かう寝台特急「日本海3号」が通過して行き、其の後暫くするとEF64重連に付け替えられた「オリエント急行」が上野をめざし発車して行った。

1988年秋 憧れの「オリエント急行」日本国内運行を追う⑥

日本1周ツアーを終えた「オリエント急行」は、滞在期間終了となる1988年12月末までの間東京、大阪などから全国各地を結ぶシャトルツアーを実施した。

70コースからなるシャトルツアーの中でも最も設定本数が多かったのが東京から京都、大阪、神戸を結ぶコースだったのだが、深夜時間帯まで過密ダイヤになっていて運行スジを確保するのが困難だったのか東京駅発着で東海道線を西進するルートでは無く、上野駅発着で高崎~上越~信越~北陸線経由で大きく迂回するルートで運行された。

東海道線経由よりは見どころの多い高崎・上越線経由になった事で週末には幾度か同路線を往く「オリエント急行」を撮影しに行ったが、晩秋の時期で日の出の時刻が遅い事や上越線内では運行ダイヤが下りは夜間、上りは早朝の時間帯であった為、撮影は困難を極めた。

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↑ 上越線敷島~渋川間の第1利根川鉄橋を渡る「オリエント急行」 1988年11月頃撮影





高崎~上越線経由で運行された「オリエント急行」は上野~水上間はEF65PF、上越国境越えを挟む水上~長岡間はEF64 1000重連が牽引した。

↑の撮影では確か前日の晩に友人と撮影地最寄りの渋川駅に向かい、翌朝に通過する上り「オリエント~」を撮る為に駅待合室で仮眠を取るつもりだったのだが、深夜時間帯は「駅を閉めるから…」との理由で駅を追い出され、仕方なく午前1時過ぎではあるものの「オリエント~」を撮影する予定の鉄橋下の撮影地に向かったら既に数十本の三脚が立っていたので、我々も撮影場所を確保し寒い中一晩中立ちっぱなしで早朝に通過する「オリエント~」を待ち続けた…という苦い思い出が残っている。

1988年秋 憧れの「オリエント急行」日本国内運行を追う⑤

前回記事までのJR品川駅の車内展示会を終えた「オリエント急行」は、10月24日から11月2日まで9泊10日に及ぶ日本1周ツアーに出発した。

此の日本1周ツアーに限らず今回の「オリエント急行」の来日期間中は、景色の良い北海道や東北での撮影を来日前から計画していたものの、日本1周ツアーの北海道滞在期間は10月25日(火)~27日(木)で東北秋田へのシャトルツアーは11月16日(水)~18日(金)の何れも平日であった為、断念せざるを得なかった。

其の一方、日本1周ツアーでは週末に九州入線というスケジュールとなっていたので、かつての「九州ブルトレ」の有名撮影地で「オリエント急行」を撮るべく九州に向かう事にした。

10月28日(金)の晩、東京から当時は14系座席車で運行していた臨時急行「銀河81号」に乗り、翌朝新大阪から0系アコモ改造車(2+2シート改良車)で運行していた「ウエストひかり」に乗り継ぎ博多に向かう。
「オリエント急行」の九州上陸は翌日の30日(日)で、此の日は門司から熊本まで走行するので「九州ブルトレ」の有名撮影地の一つである田原坂駅周辺で撮影する事にした。

前日の晩、熊本駅近くのビジネスホテルに宿泊し翌朝の1番電車で田原坂に向かう。
当初は鉄道雑誌等で何度も見かけた田原坂~植木間の丁度上下線が分れる所の直線コースを俯瞰で撮影出来る場所で「オリエント急行」を撮るつもりだったが其の場所に行く道が全く分からず、駅周辺をウロウロしていると植木側とは逆の木葉側の方に何人かの同業者の方々がいる場所があり、其方に行ってみるとカーブを俯瞰気味で撮れるので此処で「オリエント急行」を撮影する事にした。

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↑ JR貨物のED76に牽引されて九州を駆ける「オリエント急行」 木葉~田原坂にて 1988年10月30日撮影





当初はJR九州の赤いED76の牽引でやって来ると思っていたが、此の場に居合わせた同業者の方々の情報(ただ単に「立ち聞き」しただけだが…?)で「オリエント急行」通過前にJR貨物の青い塗装のED76が牽引してやって来ることが分かった。

やがてJR貨物の青いED76に牽引されて「オリエント急行」が通過。
JR九州としては「赤いカマ」しかない自社所有のED76に牽かせるよりもJR貨物が所有する「青いED76」に牽かせた方が「オリエント急行」の編成に合うと思ったのか、或いは「旅客輸送」であるが為に今回の「オリエント急行日本上陸」という一大イベントに関わる事が出来ないJR貨物側が僅かながらも「関わりたい」と考えて牽引機の提供を申し出たのかは定かでは無い。

此の後は夕刻の熊本発の「オリエント急行」の運行もあるのだが、其れまで撮影していたら翌日(月曜)の仕事に差し支える為、此の撮影で切り上げて博多から100系の東京直通「ひかり」で帰途に就いた。

1988年秋 憧れの「オリエント急行」日本国内運行を追う④

1988年10月22日(土)の品川駅⑩番ホーム(当時は臨時ホーム)で実施された「オリエントエクスプレス」車内見学会。
車内見学会を終えたので隣の東海道線下りホームから「オリエント急行」の車両を撮影する。

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↑ RESTAURANT CAR “PRESIDENTIELLE” WR 3354D  





RESTAURANTCAR“PRESIDENTIELLE”は、厨房と食堂設備を備えた「オリエントエクスプレス」の食堂車。
上の画像の車両の窓の配置から見て手前が食堂で、奥の方が厨房となっていると思われる。
以前はフランス大統領の“専用車”として活躍した経緯がある事から“PRESIDENTIELLE”の名称がつけられたようだ。

食堂内部は日本国内や海外の食堂車の『標準仕様』である4人もしくは2人用のテーブル席が通路を挟んで窓に沿って配置されている形では無く、食堂中央に大型の細長テーブルがあってテーブルを囲むように10数人分の椅子が配置されており、窓を背にして顔を合わせる様に食事が摂れるようになっている。

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↑ SLEEPING CAR WLA LX16 3537A




「オリエント急行」編成の中核をなすSLEEPING CAR。
2人用個室寝台を10室配置したLX20型寝台車と、一部が1人用個室寝台となっているLX16型寝台車の2種類がある。
因みに↑の画像のLX16 3537A号車は、先日ヲイラが購入したNゲージのKATO製「オリエントエクスプレス88」(パリ~香港)の基本セットには入っておらず、「増結」セットの方に入っている。

1988年秋 憧れの「オリエント急行」日本国内運行を追う③

「オリエントエクスプレス88」の日本国内運行では1988年12月までの日本滞在期間中、北海道~本州3社~四国~九州のJR旅客6社を駆け巡る「日本1周ツアー」を皮切りに東京(主に上野駅を発着)から函館、秋田、金沢、京阪神、九州などを結ぶ「シャトル列車」の運行の他、主要駅ではオリエント急行に使用される客車の「車内展示会」も実施された。

此の「車内展示会」は抽選による定員制で、私も10月22日(土)のJR品川駅での展示会をハガキで申し込んだのだが、いつもは「クジ運」の無い私にしては珍しく見事に『当選』したので当日はスーツにネクタイ姿…とまではいかなくてもジャケットを羽織り「車内展示会」に出掛けて来た。

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↑ 「オリエント急行」(NIOE編成)の専属車掌であるダニエル・グフェラー氏




此の頃の自宅最寄り駅であったJR中浦和駅から当時は新宿止まりだった埼京線に乗り、其の後山手線に乗り換え品川に向かう。
前回記事のPULLMAN CARのバルブ撮影の時と同様、品川駅の⑩番ホームに「オリエント急行」の編成が留置されていた。

↑の画像の専属車掌ダニエル氏の後方に停車している客車は、PULLMAN CARの隣に連結している「サロン・バーカー(『サロン・馬ー鹿ー』では無いョ…汗)」ARP 4164E車で、車内はオレンジ色のソファーが並ぶサロンとワイン等を提供するバー、そして「サロン内に1人でも客が居る限りピアノを弾き続けるピアニスト」が演奏するピアノが設置されている。

品川駅での「車内展示会」では⑥号車の寝台車から⑤号車「サロン・バーカー」~④号車PULLMAN CAR~③号車の食堂車と車内を見て歩き、其の後は編成端に連結している20系ナハネフ23からの改造車オニ23の車内に設置してある日立製『大型ハイビジョン』(「オリエントエクスプレス88」では日立グループも協賛)での「オリエント急行」に関する試写会を観るコースになっていた。

尚、「車内展示会」での車内見学中は写真撮影は一切禁止となっていたので、車内見学終了後にホームから車内の様子を撮影する事にする。

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↑ (上)PULLMAN CARの車内 (下)寝台車の車内




PULLMAN CARは元々は1等座席車なので通路を挟んで1人掛けの座席がテーブルに向かい合う様に設置されている。
テーブルが設置されているのは、1等利用者の中にはわざわざ食堂車に行く事なく自席で食事を楽しみたい…というワガママな優等旅客が少なからず存在するのが理由であるが、前述の通り現在は食堂車として使用されている。

一方寝台車の方は上下段のベットがある2人用(一部は下段のみの1人用)の寝室で室内には洗面台の他、わざわざベンジョに行く事なく自室で「用」を足したい…というワガママな優等旅客の為に病院で「寝たきりの病人」が使用するのと同様の『尿瓶』があり自室で「用」を足した後、洗面所下の所定の「置き場」に設置しておけば洗面台の下水で『尿瓶』の中の尿もろとも洗浄できる仕組みになっている。
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